なぜ音楽で表現するのか?
私はなぜ音楽を始めたのか?ということになると、かれこれ20年以上前の話になってしまう。
たまたま。習わさせていただいたピアノとの出会いと、学生の頃の合唱やバンド経験を経て同人音楽に出会った。
しかし、そうと言うと語弊がある。実は、私は10代後半から絵描き。漫画家を目指していた。毎日絵の猛練習をして表現したいものを描きながら、当時手に入れたKorg社のシンセサイザーと戯れていた。どちらで表現したいか。ではなく音楽も漫画も表現方法として確立したかった。Photoshop9とComicstudioEX4を使い、音楽の方はSingerSongWiterを使いMIDI音源をヤフオクでかき集めて表現していた。
それが14年前である。20歳前後のバイタリティはものすごい。感動したものをすべて吸収してほとんどを自分のものとしてアウトプットできる。そんなことが続くと思っていた。
もちろん同人誌も出した。ネットにSoundTrackの音源も公開した。もちろん、ド素人がバックボーンもなく志だけで物語すべてを表現できたわけではないのだが、私は沢山の人の目に触れた自分の作品が評価されることに快感を覚えたのである。つまり、これが創作か。という実感である。
時を経て、私は絵を描くのをやめてしまった。さして大きな理由などない。ただ、自分で満足しなかったからだ。それでいいのか?お前の表現したいのはそれなのか?という自問自答に負けたのである。
残ったのは音楽表現。ただの周波数の違いが紡ぎだす複雑な感情表現。目を閉じると世界が広がった。当然、活字表現でも同じことができるが、私の中では音の表現にとても具体性があったのである。どういうことかというと、私の頭の中で紡がれる物語や感情表現などはこの面白おかしい周波数の違いで、私自身の中身を表現できると思った。からである。
私は今はよほどのことがない限り絵は描かない。卒業という言い方は嫌いであるが自身の表現法ではないと悟ったのだ。しかし私はどこまでも音に貪欲でありたい。そして表現すべきものを表現したい。だから様々な人の表現方法を借りる手段を選んだ。多くは語らないが、去年の夏コミで頒布したものがそれであることだけは明言しておこう。
自分に正直になった結果が音楽表現だったのだ。これについては一生言い訳するつもりもないし、責任を負うつもりだ。私は音楽の高等教育は受けていない。理系の高校を卒業して、理系の大学に入り、理系の就職先に就いた。
一貫して言えるのはモノ作りが好きなのだ。そこに金属の稜線や、鉋の木くず、電子部品のソリッドステートな美しさなど沢山のものがある。が、私が純粋に好きなのは耳から入ってくる抽象的な情報だけで、何もかもが表現できるしできないという抽象的な音楽といいう文化が大好きなのだ。
直接的な表現ではない。その数学的、文学的な表現方法に惚れてしまっていたのである。
感動体験、つらい、おもしろい、痛い、快感、発見などの体験などは私の頭の中で具体的な絵やコマ割り、セリフで表現されるのではなく音楽でフラッシュバックするのである。そこに僅かながら映像は付くが、それはメインではない。そういうことが重なって今の私がある。
表現に関して私ならこうするな。こうしたほうがユニークだな。というそれがバイタリティに繋がっている。
音楽で表現するのは、私が一番合っている。と様々な表現方法、創作手法を試した結果なのである。